岩橋千塚古墳群の調査と保存

 岩橋千塚古墳群は、江戸時代にはすでにその存在が知られていました。『紀伊続風土記』には古墳の所在に関する記述が見られます。

 イギリス人のマンローはPrehistoric Japan1923(大正12)年のなかで岩橋千塚古墳群についてふれ、広く世界にも知られる遺跡となりました。 岩橋千塚古墳群の調査は明治期に始まりますが、本格的な調査は1918(大正7)年から和歌山県によって行われ、その後1931(昭和6)年に当時の文部省より史跡指定を受けます。第2次大戦中は古墳を利用して防空壕が設けられたり、戦後も燃料不足から岩橋千塚古墳群一帯の樹木が伐採され、さらには食糧難から遺跡地域の開墾計画が持ち上がるなど、この時代は岩橋千塚古墳群にとってまさに受難の時代でした。

 1948(昭和23)年に入って、地域の人たちから大切な郷土の文化財を守るべく岩橋千塚に対する保存の声が出始めます。1952(昭和27)年岩橋千塚古墳群が国の特別史跡に指定され、その後、1962(昭和37)年から和歌山市が調査、1967(昭和42)年には和歌山県が調査し、その成果や蓄積された情報をもとに特別史跡範囲を対象に「風土記の丘整備計画」が進行、1971(昭和46)年に至り岩橋千塚古墳群の保全と公開を目的として「紀伊風土記の丘」が開設されました。

 そして現在に至るまで、古墳群の分布調査や保存・公開を目的とした発掘調査を継続して実施しています。

古墳のメニューへ戻る  トップページに戻る