和歌山県指定有形民俗文化財 保田紙(やすだがみ)の製作用具 (平成20年6月指定)

○指定物件の内容 
 
  ・原材料栽培・加工用具  19点


  ・紙漉き・乾燥用具     36点
      旧所在地 : 和歌山県有田郡有田川町、海草郡紀美野町

保田紙の製作用具は、和歌山県中部の有田川町清水を中心にして、江戸前期から昭和40年代まで生産されていた手漉き和紙の製作用具一式です。
 
    

    

 本資料は、有田川町清水の西原集落にある一軒の農家で、昭和20年代まで使用されていた紙漉きの道具類を中心としたコレクションです。

 原材料であるコウゾの栽培から、コウゾの皮むき作業、その繊維であるカミソの調製する作業、紙漉きの作業、紙の天日干し作業など、保田紙の製作に関わる全工程に渡る資料として、保田紙の技術やその推移を示した貴重なものです。


【保田紙について】

 保田紙は、紀州徳川家初代の徳川頼宣が山保田組(現有田川町清水地域)の大庄屋であった笠松佐太夫に紙の生産を奨励し、万治年中(1658〜1660)に寺原村の枝郷として小峠村を開拓して紙屋22軒を住まわせたことに始まります。


「紀伊名所図会」 (寺原村の新田小峠村にて小半紙を製する図)


 江戸時代には紀州藩の保護のもとさまざまな種類の紙を生産していましたが、近代以降は主に和傘の用紙(傘紙)を生産しました。
 最盛期の明治末期には、清水地域の約480軒の農家で紙漉きが営まれ、年間2500万枚もの紙を生産し、海南市日方・内海に出荷して和傘が生産されるなど、昭和20年代まで地域の主要な生業の一つになっていました。

  その伝統的技術は、現在も町営の「体験交流工房わらし」(有田川町清水)において受け継がれ、保田紙の製品は和歌山県知事指定伝統工芸品になっています。
 手漉き和紙の丈夫で自然な風合いが好まれ、さまざまな用途の工芸紙として使われるほか、地元の学校の卒業証書や表彰状などにも使用されています。


 ◎和歌山情報館 紀州の伝統工芸品「保田紙」へ


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